2018年05月15日

回想〜男前なじいちゃんは最期も男前でした。

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今日はつらつらとつぶやいてみたいと思います。
大好きだった祖父は本当にかっこよかったのです。
亡くなり方までも・・・

回想

私の祖父は命の灯が消えるその瞬間まで、毅然としていました。
自分の死と向き合い、しっかりと受け入れ、挑んでいく姿はとても美しかった。

息が苦しそうだったので、ずれている酸素マスクを直してあげようと手を当てると、祖父はそっと私の手を払いました。
そして懸命に両手を上げ、自分の口の前で指をクロスするのです。
「やめてくれ。もういい。」そう言ってるようでした。

そして泣いてる私の顔を見て、指で自分の目から頬をなぞり、また指で×印を作る。
「泣くな」と言っていたのでしょうか。。

そして、祖父はゆっくりと目を閉じ、静かに命の幕を下ろしました。



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あれから三年半の月日が過ぎました。

今更ながら、果たして人はそんなふうに死ねるのだろうかと思う時があります。
あれは、祖父の死は、私が創り出した幻想なのではないか。
そんなことを三年半経った今も考えます。
でも、そこにいた家族はみんな見ていました。
男前な祖父の、男前な死に様を。

そんなふうに男前に人生の幕引きが出来るひとは本当に少ないのだと思いますが、決して楽な最期ではなかったのです。
肺が潰れて酸素量が減って、溺れてるような状態だったので、相当苦しかったことと思います。
あまりにきれいに旅立っていったものだから、そこを忘れてしまいそうになりますが。


人は自分の「死」と、生きている間に本当の意味では向き合うことはしないのだと思います。
死ぬかもしれないという状態に陥ったとき、ようやく気が付く。

私は幼いころからなぜかいつも「死」が近くにいました。
初めてそれに気が付いたのは8歳のとき。
ただひたすら恐ろしくて、どこに逃げようもなくて、夢の中で何度も何度も殺された。
時に戦争で、時に刑に処されて、時に溺れて、時に、、、
自分だけではなく祖父母が自分よりも先に死んでしまうことが恐ろしくて、毎晩泣いた。
そんな小学2年生。


だから、私は早く死んでしまうのだと思い込んで成長しました。
でも幸いなことにまだ生きてる(笑)
生きてるから、生きてることに戸惑い、どう生きていいかわからなくって心の病にもなりました。
生きることを受け入れたとき、ようやく「死」も受け入れることが出来たように思います。

また逆に「死」を受け入れると「生きる」ことが出来るんだということにも気が付きました。

人は簡単に死なないし、簡単に死ぬ。
でもそれは命である限り当たり前のことだし、自然なこと。
私が死んでも、他の命は続いていくし、広がりながら消えていく。
生命は膨張しているのか、それとも収縮しているのか、知る術はないけれど知る必要もないのかもしれない。

自分という存在が今たしかにここにはあって、明日の保証はないけれど、それでも今生きてることに何か意味があるのかもしれない。
いや、ないかもしれない。
どっちでもいいか。

そんな意味不明なことをぼんやりと考えたりしているのは、今まわりに「死」や「生きる」をテーマに自問自答を繰り返す人に囲まれているから。。

私の実家の父がよく言っていたのは「自分は好きなように生きてきたからいつ死んでもかまわない。」
でもね、そんなことを言い放っていた父が、死ぬかもしれない状況に陥ったとき、やっぱり「いつ死んでもかまわない」にはならない。
不機嫌になり、まわりに当たり、嘆き悲しむ。
それが当たり前なのかなとは思う。
それでいいと思うし、そうやって自分を知っていくんだろうな。
自分の命と向き合うってそういうことなのかも。

本当に向き合わなければならなくなったとき、人はとても正直になる。
産まれるときは覚えてないけれど、たぶん苦しかったはずで、それでもお母さんが一緒にいてくれたから頑張れたのかもしれない。
でも、死ぬときはたった一人で挑まなければならず、不安で恐怖でいっぱいになるのだろう。

だからこそ、祖父の死は、あれはフィクションではないのか?と疑いたくなる。
いや、この目で見たよね(笑)
果たしてあんなふうに人は死ねるのだろうか。。


いつかは自分の番がまわってくるし、愛する人にもまわってくる。
順番通りにいかないし、明日の保証もない。

昔、誰だったか、、、谷川俊太郎だったか、、詩の中にこんな言葉があった。

人は死ねる なんという恩恵。


死は恩恵。
たくさん経験して成長して帰っておいでと手を差し伸べる神様からの恩恵。

うーん、ますます意味不明な文章になってきた(笑)

何が言いたいのかわからなくなってきたので、ひとまずここまでとしようかな。

いや、続くかどうかはわかりませんが(笑)


もうすぐ亡くなった祖父の家が取り壊されます。。
それで、こんなことを書きたくなったのかもしれません。

幼い頃祖父母と住んだ家、祖母が亡くなってからは私と祖父と二人で住んだ家。
思い出がいっぱいの、懐かしいにおいのする家。。


さみしいですね。













posted by mayumi☆ at 23:58| 福岡 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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